2012年御翼8月号その4

皇室とキリスト教

 『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』(PHP新書)に「モノづくりと天皇」という記述がある。日本人がモノづくりで成果を発揮してきたのは、日本人の気質に加え、日本人が天皇を仰いできたからではなかったか、というのだ。たとえば、日本の鉄道技術は世界の最先端を走っているといわれるが、これは天皇のお乗りになる御召列車を五秒刻みで運行させる必要性から積み上げられたものである。秒刻みで鉄道を正確に運行しているのは世界で日本しかない。
 御召列車の運行には、@御召列車と並走する列車があってはいけない、A御召列車を追い抜く列車があってはいけない、B高架で御召列車の上を通過する列車があってはいけない、という御召列車三原則がある。運行ダイヤを縫うようにして設定された御召列車の運行スケジュールを消化するには、秒刻みの正確さが求められる。御召列車の存在が日本の鉄道の正確な運行に大きな影響を及ぼしたことは間違いないのだ。
 日本人が世界で愛されるのは、日本人のモノづくり精神によるところも大きいはずである。このような質実剛健の精神にイエス様の福音を接ぎ木すれば(受け入れれば)、世界に誇れる立派な日本人クリスチャンが生まれる。

皇室とキリスト教 『キリスト教逸話例話集』

 明治天皇が、「自分は精神的にはクリスチャンである」と発言をしておられたと、明治天皇のお孫さんで牧師になられた小林隆利先生が、キリスト教雑誌『ハーザー』2001年2月号で発表しておられた。1998年に神戸キリスト教書店が発行した『キリスト教逸話例話集』には、「皇室とキリスト教」という題で、昭和天皇と皇太子(現・天皇)について、以下のように記されている。
 1946年(昭和21)、アメリカ教育使節団一行が来日し、昭和天皇が会見した。その時、天皇は事前に側近の誰にも相談せず、唐突に皇太子の家庭教師を推薦してくれるように依頼したという。居合わせた者は皆驚く。その希望条件としてアメリカの女性であり、クリスチャンであってほしいが、信仰を強要する狂信的でない人で、日本ずれしていない者であることをあげた。選ばれたのは、フレンド派の信徒で、平和主義で独善的でなく、文筆家のエリザベス・ヴァイニング夫人(1902? )であった。彼女は1946年に来日、1950年まで(当時の皇太子が12?15歳までの間)皇太子を初め皇后に、また学習院で英語を教えた。夫人は皇太子にキリスト教を説くことはせず、むしろキリスト教の信仰に生きた人の生涯を紹介し、間接的にキリスト教の人生観、価値観を示した。特に個人の価値と尊厳を教え、その自主性の育成に努めた。夫人は皇室では親子が同居していないのを知って、不自然であると嘆き、それを改めるように進言したが難しかった。しかし皇太子が結婚し子どもが生まれると、皇室の伝統に反し自ら決断して親子同居したのはヴァイニング夫人の影響であった。皇室では平和主義のフレンド派によるキリスト教が、実践の中で教えられた。日本人クリスチャンが、世界に安心して非戦論を主張できるのは、皇室にそのような伝統があるためでもあると感謝しよう。

 フランス国歌は、革命の中で生まれた歌である。その歌詞は、「行け 祖国の国民 … 正義の我らに 旗は翻る 悪魔のごとく 敵は血に飢えたり 立て国民 いざほことれ 進め 進め 仇なす敵を葬らん」と、好戦的なのだ。革命などによって生まれた国(アメリカ、カナダ、フィリ ピン、イタリア、中国)の国歌には、このような傾向があるという。
 一方、日本の国歌、「君が代」は、平和への祈りの歌だと、作曲家の故・黛(まゆずみ)敏郎(としろう)氏は言う。
 「君が代のメロディーは、西洋の音階ではなく、雅楽の音階である。諸外国の国歌がたくさんあるが、そういうものに全然引けを取らないし、音階のこともあり、日本的な優雅で荘重(そうちょう)な情調(じょうちょう)を持っている。外国には革命の歌、中国の国歌は戦闘的な歌であるし、革命で生まれた国は、非常に激しく、荒々しい、戦闘的な歌が多い。ところが日本は、平和国家であるし、平和の中からその国の将来が永久に続くようにという、君という天皇の代名詞であるが、それになぞらえて、祈っている歌詞であるから、こんな素晴らしい歌詞もないし、音楽的にも素晴らしいし、とにかく平和を賛美する、戦闘的な歌ではないということを、まず私たちが強調して大事にしてゆきたいと思う」と。
 日の丸と君が代、平和を愛する日本のメッセージなのだ。そのような伝統を大切にし、感謝しながら、世界に福音を宣べ伝える国民になろう。

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